(画像出典:www.huffingtonpost.jp)
林修・世界の名著。
ゲストはファッションディレクターで雑誌「FORZA STYRE」の編集長を務める干場義雅さん。
名著『幸福な王子』は、現在のアイルランドで生まれ、19世紀末の文学界を牽引したオスカー・ワイルドの代表作。
本当のお洒落とは何か?から人間、そして『究極の愛』にまで話が発展していきます。
素直な干場さんと、ひねくれた?林先生の対比が絶妙な放送でした。
「幸福な王子」ってどんな話?
『魂を持つ像』となった「王子」と「つばめ」との対話や行動を、簡素でありながらも格調高い文章で綴り、献身的な人間愛を見事に描き出した名著。
概要
全身を金箔で覆われ、高価な装飾をも身体にまとった王子の像。しかし王子の像は偶然出会った「つばめ」に頼み、貧しい人々に自分の身体にある高価な宝石を分け与えていく。その代償として働き続けたツバメは息絶え、王子の像は見すぼらしい姿となり、炉で溶かされるという運命をたどる。
そこには「献身的な人間愛」の他、「真実の美を理解しない衆愚に対する批判」が込められている。
選んだ理由は「懺悔(ざんげ)」としての気持ちから?
現在42歳、本書に出会ったのはほんの1~2年前。知人から「(干場さんが)いつも考えてることに似てるんじゃない?」と薦められて読んだのだそう。
干場:ファッションの業界は競争が多く、外見のことが重視されがち。しかし雑誌の編集長・メディアという立場の人間として、それ以外の内面的な部分から出るものを伝える責任がある。それができていないことへの懺悔というんでしょうか・・。
林修・干場が考えるファッションと人間
干場:良いスーツを着て、良いシャツを着て、良いネクタイをすればかっこ良くなるわけじゃない。雑誌の編集長として失格かもしれませんが(笑) もっと突き詰めて考えていくと「人間的な中身のカッコ良さ」が僕が伝えていきたいことなんじゃないかと思います。裸になった時にどれだけ「いい男・いい女」でいられるかじゃないですかね。
林修:僕は人を見る時は「外見で選べ」と思っています。全体のバランスや手入れに関しての考え方など、着こなし全体が人格の一部である。
言ってることは逆でも、本質的な部分は同じですね。
最も懺悔に思いに駆られたシーンを連発
物語の最初のほうに出てくるシーン。宝石を届け、王子のもとに帰ってきたツバメが言ったことです。
ファッションの仕事でも、ツバメのような気持ちで相手に伝えていくこと目標だそうです。
そして王子のために懸命に働き、次第に力が弱まっていったツバメのシーン。
この自己犠牲ともとれるツバメの行動に本物の愛を感じるという干場さん。「でも、王子は自分のしたい通りにしたから良いけど、ツバメは巻き込まれただけじゃないですか?」という林先生に対して次のシーン。
王子がツバメにきついひと言を発します。
これは、ツバメが本当の愛にたどり着くまでの道標のようなものであり、王子が愛に気づかせてくれたのだと干場さんは捉えているそう。
なぜならツバメは物語の最初のころ、ある別のものに恋をしていました。
ツバメは見た目で恋をしてしまっていたのです。
「考える葦である」と関係が??
実はこのツバメが葦に恋をするシーン、ブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である」のもとはこれなんじゃないか、という議論があるそう。宗教的なバックボーンが絡んでいるんじゃないか?という林先生。
干場さんは「オスカー・ワイルドも何が正しいか悩んだはず、その答えを探す中で心のより所として聖書にはいっていったんじゃないか?」と。
本当の愛とは自己犠牲なのか?
本書において『愛』は自己犠牲(ツバメ)と自己中心的なエゴイズム(他者を巻き込んだ王子の犠牲)との両面で描かれています。
この2つの対照的な愛の形について「他者を巻き込むのは本当の愛なのか?」「ツバメは真の愛に目覚めたからそれでいいのでは?」という議論が林先生・大学生のときに勃発したのだそう。
答えの出ない永遠の問題かもしれません。
「王子の幸福とは何なのか?」の2人の見解
林修『自己犠牲という名の自己満足』・・・自己犠牲している自分の状況に対して満足している王子、それを幸福と言っているのではないか。僕の性格の悪さが出てしまいますが…。
干場『与えること』・・・林修の言うとおりかもしれません・・(笑)
2人はどんな人に読んで欲しいか??
干場:3組が結婚すると1組が離婚する時代。愛されたがる人、愛について迷う人がとても多い。そんな迷える人が何かをつかむきっかけになるのでは?
また本書は児童書として絵本にもなっている作品。幼少の頃から「気持ちや心」を育成していける本のひとつとして、子どもにも読んで欲しい。
干場さんにとって「幸福な王子」を象徴するひと言とは?
究極の愛とは自己犠牲。誰がために・・・?
最後まで『現実的には難しい』と言い続けた林修先生でした。
番組で使用されたのは新潮文庫でした。