出雲大社は”縁結びの神社”として有名で、いまや参拝客は年間800万人。
今回の放送は『なぜ出雲は日本有数の観光地になったのか?』という散策でした。
タモリの通った出雲大社ルートを観光用として記録しました。
行く機会があったら活用したいですね。
入り口から参道へ
①タモリは入り口の高低差を楽しむ
入口が高くなっていることに喜ぶタモリ。
階段を登ったところに鳥居があり、そこが高くなっています。
この一帯は、多くの参拝客が集うため『勢溜』(せいだまり)と呼ばれたそう。
かつて砂丘の山でした。
では、中へ入っていきましょう。
②祓橋(はらいのはし)を通過
普段の汚れを、この橋で払ってから参道へ向かうという意味の名前だそう。
実際払っている人はいないんじゃないかな?
橋を渡るとすぐに見えるのが…
③参道を歩く
3つに割れています。
よく真ん中は通らないと言われますが、これは一節では神様の通る道だから言われているため。
少し控えめに横の道を通ります。
境内へ、参拝
さあ、参拝です。
④出雲大社お参りの作法は2礼4拍手1礼
昔から2礼4拍手1礼だったのですが、明治に国が管理しだした時に2礼2拍手1礼にしなさいと決めたのだそう。
ところが、昭和の時代に戻しても良くなったので出雲大社では元に戻しました。
⑤昔の柱の跡
参拝を負えて振り向くと…
境内の階段の下に見える赤い丸。
これが昔の出雲大社の柱の跡なのだそう。
図面が残されているそうで、それを元に中世の出雲大社の様子を復元するとこんな感じ。
高さは48mもあり、平安時代の言い伝えでは日本一高い建物であったと言われています。(現在は24m)
さて、正面からでは本殿が見えないので、ぐるっと回って裏側へいきます。
⑥現在は遷宮中(修繕工事中)
『平成の大遷宮(せんぐう)』の真っ最中。木造建築なので、60年に一度境内の様々な場所を修繕します。
現在の境内は270年前の遷宮の時にに建てられたものだそうです。
遷宮と出雲観光の関係
ちなみに出雲の観光は繁栄と閑散を繰り返しているのだそう。
その繁栄のきっかけとしてカンフル剤の役割を果たすのが、この遷宮。
平成に入って観光客が激減していた出雲も、平成の大遷宮を期に一念発起。
スイーツの店をオープンさせるなど工夫を重ね、現在800万人の人を集めるまでになりました。
話題を集めるのが上手な出雲。面白いですね。
⑦境内の裏手で神様に近づこう
本殿の真裏は、神様が祀られている部屋に一番近い場所。
この中は4つの部屋に区切られており、一番手前の部屋『御神座』に神様が居るのだそう。
本殿の天井にはキレイな雲の絵『八雲之図』が描かれているのだが、雲が7つしかない。
完成させないことで永遠を表しているんですって。
(雲の絵は一般公開されていないため見られません。)
思いを込めた、粋な計らいです。
⑧神様のホテル
集まってきた神様が泊まるホテルまであるんですって。
これも木造で、全て「竹の釘」を使って作られているんですって。
以上、タモリの参拝はここまでです。
ブラタモリはこんなもんじゃ終わりませんが、実際に観光に必要な情報はこんなもんです。
番組で紹介されたエピソードをほんの少しだけ。
出雲大社の歴史
今のような賑わいになったのはわずか250年前(江戸時代後半)で、江戸時代の途中まではそんなに有名じゃなかったそうです。「出雲御師」と呼ばれる人たちが布教に全国へと渡り、当時珍しかった「縁結び」が人々の心をつかみ、一気に広まったそう。
ちなみに、以前は『杵築大社』という名前で、現在の出雲大社とは別の場所にありました。
ブラタモリ的観光スポット
民家の大国様
大黒様ではありません。「大国」です。玉を持っている、出雲大社が祀る神様です。
民家の屋根瓦に見られるそうです。
老舗「蕎麦」荒木屋
「出雲御師」が布教の時に使った道具(版木)がここの屋根裏で見つかったのだそう。
駅舎の重要文化財『大社駅』
日本の駅舎で重要文化財に指定されているのは3つ。そのうちの一つが大社駅です。
全国からの参拝客を運んだ鉄道の玄関口。
当時は今のインド並に人が列車の外にはみ出すほどだったそう。
まとめ~出雲は努力家~
なんとなーく、歴史がありそうだなーと思い込んでいた出雲大社も、栄えたのは250年前からというのは以外でした。
布教活動や、遷宮の度に賑わいを取り戻そうとする努力あってこそ、これだけ有名になれたんですね。
イメージが変わった出雲大社でした。
関連書籍
『タモリのTOKYO坂道美学入門』
凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩
タモリ倶楽部に出演していた皆川 典久さんの書籍。面白い。