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『究める』とは何か?心臓外科医・天野篤が語る「名人伝」中島敦【林修・世界の名著】

 2015/11/10  

今回のゲストは順天堂大学・医学部教授の天野篤さん。
2012年に天皇陛下の心臓バイパス手術を執刀したことでも知られています。
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常人と比べて「技(職)を究めた人」と言っても過言ではない実績を持つ天野氏の考え方を、「名人伝」に重ねて話して下さいました。

「名人伝」てどんな話?

李陵・山月記 (新潮文庫)
33歳の若さで亡くなった孤高の小説家・中島敦の遺作。

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古代中国を舞台に主人公の紀昌(きしょう)が弓の名人を目指して鍛錬する。

まず主人公は師匠である弓の名手から厳しい修行を受ける。次に仙人の元に弟子入りし、「弓も矢も使わずに相手を射る」という達人技を会得。最終的に真の名人となった主人公だが、弓への関心を無くし、遂には弓のことさえ忘れてしまう。

こんなストーリーの中から「芸を究める」ことの真髄を描き出した短編小説。

天野氏が初めて読んだ時の感想は?

弓ひとつを究めるために、これだけの「手続き」をしなければいけないのか、と感じたそう。

主人公「紀昌」が自分が一番になるためには師匠の存在が邪魔だと思い、師匠に向かって弓をひくシーンがあるのですが「鍛錬しても人間の邪心だけはコントロールできない」ということも強く印象に残っているようです。

究めるとは何か?を有名な一節から捉える。

天野氏が最も印象に残った一節。それは名人(仙人)のもとへ尋ねた時に言われた名言。

弓矢の要る中はまだ射の射じゃ。不射之射には、烏漆(うしつ)の弓も粛慎(しくしん)の矢もいらぬ。

主人公は前人未到の厳しい修行を積み、仙人のもとで実地試験のようなものを行うのですが、それまでの修行が見事にものにならない。

心臓外科の手術も色々な場面を想定して臨むが、それでも想定外の異常な状態に初めて出会うことがあり、それに対処することの大変さを感じることも多い。天野氏はそういうことを本書から見出し、今の仕事と関連付けて捉えているそう。

「不射の射」の意味から「究める」を捉える

上記の一文に出てきた不射の射(ふしゃのしゃ)とは「弓を用いずに射る」ということ。つまりこれができてこそ本当の名人だと言ってます。

その反対が「射の射」。弓で相手を射るというのは真の名人になる前の鍛錬の途中であると解釈することができます。

林修が捉える「不射の射」

林先生は「不射の射」を、戦わずして勝つのが最高の勝利、「こいつには敵わない」と相手が思うことで戦いにすらならないことが本当の勝利だ、と解釈しているそう。

天野篤が捉える「不射の射」

「心臓外科の世界」では”不射の射”はありえないですが(手を施さなければ治せないため)、「医療の世界」では常にあり得ることだそうです。現在の医療の当事者が行っている治療は「射の射」と言えますが、新しい研究に関しては今役に立たなくても将来役に立つものがある。それが「不射の射」。

つまり今現在役に立っていないという観点だけで物事を見るべきではないということ。

例えば今ゲームの世界を極めても無駄にしかならないが、将来的にコンピューターコントロールの外科治療に役立つ技術になるし、新しい創意工夫を作る当事者になる可能性がある。これが「不射の射」であるという捉え方です。

修行を積むと、仕事が疲れなくなる!?

本書とは直接関係ない話ですが、「究める」ということに関して天野氏はこんなことも言っていました。

手術の時、ある程度修業を積んだ人間は、目から情報が入って反射的に手が動く。つまり全てが「作業」として行われるため疲れることはない。「あれ?これは違う、何とかしなきゃいけない」という想定外の状況に出会った時に初めて頭を使い、酸素と糖分を消耗し、そこで初めて疲れが出る。

林先生も「理論的にはそうですが…」と言っていましたが、究めようとする人は常人には信じられない感覚を持っているようです。タフなのか、究めたら本当に疲れにくくなるのか、興味深いですね。

医療で大切なことは「精神」と「日本語」

これもまた本書と直接関係ない、天野氏の医療に対する考え方です。

精神が大事な理由

天野:『医療は人間が人間に対して行うこと。医療安全を誠実に行っているかどうかは医療を行う側の人間が高い教養を示さないと信用してもらえない。医学の知識だけならインターネットで素人でも知ることができるし、経験だけなら時間をかければ得ることができる。それだけじゃない人間として信用できる部分はリベラルアーツのボリュームにかかっている。』

※リベラルアーツ:古代ギリシャやローマで「人を自由にする学問」として生まれ、それを学ぶことで一般教養が身に付くもの。「文法・修辞学・論理学」の3つと、数学に関わる「算数・幾何・天文・音楽」の4つ、合わせて自由七科と呼ばれる。

精神を伝えるという意味でも、大学の生徒たちに「こんな本があるよ」と伝えているそうです。

日本語が大事な理由

天野:『医者は患者に言葉をひけらかすのではなく、正しい言葉を使い理解でしやすい形に変換しなければ、本当の意味での信頼は得られない。医者同士で使う専門用語を使用していると、医者は説明したつもりになり、患者も分かったようなつもりになっているだけ。何か合った時に「言った言わない」になってしまう。』

まとめ

座右の銘が「一途一心」だという天野氏。物事をコツコツ続けていると、ある日神様がご褒美にそれまでの実力ではできなかった結果をことをもたらしてくれる、ということです。

また、鍛錬を重ねると「幽体離脱」のように物事を客観的に見られるようにもなるそう。

最先端の医療を究めた天野氏が、技術の話ではなく「神様」や「幽体離脱」というアニメーションのような感覚を持って物事捉えているのが非常に面白いですよね。

『究める』という言葉を何度も繰り返す。それだけ「究める」ことを意識してきたからこそ辿りつけた領域なんだと感じさせてくれました。

本当に究めるとは何なのか、天野氏のような視点を持つことで私達も「究める」ことに一歩近づけるのかもしれません。


番組で使用されたのは新潮文庫の短編集でした。

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