林修、世界の名著。今回のゲストは落語家の立川志らくさん。
選んだ名著はニューヨーク生まれの作家マリオ・プーヅォが1969年に発表した「ゴッドファーザー」です。
有名な映画ですが、その魅力は俳優や物語性だけに留まりません。
考える余地がたくさん残されているという点においても素晴らしく、1から100まで分かりやすく描かれている映画とは違って観る度に新しい発見があります。「分かりにくい」というだけに留まらない深みのある作品です。
そんなゴッドファーザーですが、映画を見たことがあっても、本まで読んだことのある人は意外と少ないのではないでしょうか?
今回は作品の魅力に触れるだけではなく、本は何が違うのか?にスポットを当てた放送となりました。
ゴッドファーザーとはどんな物語か?
ゴッドファーザーと呼ばれる架空のマフィアのドン「ヴィトー・コルレオーネ」と、その跡継ぎである息子「マイケル・コルレオーネ」が巻き込まれる抗争事件を通してアメリカの裏社会を赤裸々に描き出した物語。
また映画においても当時の歴代興行収入1位を獲得しており、著者自身がアカデミー作品賞を受賞した世界的名著である。
(父ヴィトー・コルレオーネ)
(三男マイケル・コルレオーネ)
ゴッドファーサーとは「名付け親」という意味です(重要、後から林先生の話が出てきます)。
以下、本文です。
ドン・ヴィトー・コルレオーネは、誰もが助けを求めに来て、しかも決して裏切られることのない男だった。
(中略)
そこで要求されることはただ一つ、つまり、彼への友情の証を見せることだった。
(中略)
”ドン”という尊称、あるいはもっと愛情のこもった”ゴッドファ-ザー”という呼び名がそれであった。
林修:僕、実は映画を観たことがないんですよ。
立川:それは興味深いですね。日本では逆の人は多いと思うんですけど、映画を観たことない人がとう感じるのか。
ゴッドファーザーはドンの視点で描かれていない?
立川志らくさんが感銘を受けた一節がこちら。
ケイは、自分自身に関するいっさいの思いを、子どもたちや、あらゆる怒り、あらゆる反抗、あらゆる疑いに関するいっさいの思いを、心の中から洗い出した。それから、カルロ・リッツィの殺害以来毎日そうしているように、自分の信心によって神に聞き届けられんことをつよく願いつつ、彼女はマイケル・コルレオーネの魂のためにお祈りを唱えた。
立川:女房(ケイ)の心情を読んだ時に、この原作はケイの視点で描かれているんだと分かるわけですよ。マフィアの血で固まった物語ですから、出てくるのは全員イタリア系のシチリアの人々じゃないですか。でも一人だけケイは純粋なアメリカ人で、なのにマイケル・コルレオーネと結婚する。本当は結婚しちゃいけないんですね。一族は一族として全部シチリア系の人だけでやってれば揉め事も起きなかったのに、一族にアメリカ系の人を入れたがばっかりに両方が不幸になっていく。そして最後には、ケイは亭主を愛しているんだけれども不安で、疑いの気持ちがいっぱいになって、それで神様にすがっているっていう・・。我々のような読み手は外部からの視点でファミリーを見ているので、どうしても外部の人間であるケイに感情移入してしまいますよね。
感情移入した登場人物は?
まずは人物紹介。
コルレオーネファミリーの相関図をご覧下さい。
物語冒頭に出てくるのがドンである父ヴィトー・コルレオーネ。
度胸があるけど気が短い長男がソニー。
父に忠実で真面目だが頼りない次男がフレッド。
内に秘めた闘志と知性を併せ持ち、後にドンとなるのが三男マイケル。
この3兄弟を軸に物語は進行していきます。
では、二人がそれぞれ感情移入した人物です。
立川「マイケル⇒フレッド」
立川:若いころはマイケルでしたが、歳を重ねるにつれてフレッドに変わったんです。そもそも落語は弱い奴に視点をあてる芸能なんですね。何かあった時に逃げちゃうようなやつとか。映画は大抵の場合、ブ男でも命かけて戦えば美しいヒロインと結ばれますよね。でも、命を書けてヒロインを助けたのに振られちゃう、結局「ブ男はブ男なんだ」ということを描く。それが落語なんですよね。だからどんどん成功していくマイケルよりも、気が弱くてだらしがないフレッドにどんどん感情移入しましたよね。マイケルにはなれないだろうと。
林修:あれは、なれないですよね(笑)
林修「トム・ハーゲン」
ドン・コルレオーネの”事務室”ーそれは、いくぶん床が高くなった隅っこの部屋だったーの締め切った窓から、トム・ハーゲンは庭で華やかに催されている披露宴の様子を見守っていた。彼の背後の壁には、法律関係の本がずらりと並んでいる。ハーゲンはドンの弁護士で、コンシリエーレつまり顧問役をしており、ドンの仕事の上でも要(かなめ)の役割を果たしているのだった。
林修:僕はどんな文学でも読み方が変わらないみたいで、いつも参謀とか、頭を使う腕力のないやつに自分を重ねるんですよね・・・。
立川:トムという役は映画の中でロバート・デュバルっていう名優が演じていて、ファンにはすごく人気があるんですよね。あまり喋らないんですが、存在感があるんですよ。
林修:ああ、僕と逆ですねぇ。ベラベラ喋る割に中身が無いってよく言われます(笑)
ゴッドファーザーの衝撃的なシーン2つ
初めて読んだ時、一番衝撃を受けたシーンは?
という質問に、二人はこのような答えを出しました。
林修「葬儀屋(ソニーの死)」
林修:僕もレストランのシーンだと思うんですけど、後半にも印象深いシーンがありましたよね。
ボナッセラは絶望のどん底に突き落とされていた。彼には、自分がどのような助力を要請されるかはっきりとわかっていたのだ。昨年来、コルレオーネ・ファミリーはニューヨーク・マフィアの五代ファミリーと敵対関係に有り、血なまぐさい記事が連日のように新聞をにぎわしていた。(中略)今、コルレオーネ・ファミリーは誰か非常に重要な人物を殺し、その死体を人目に触れないよう始末しようとしているのだ。そして、正規の葬儀屋に死体を埋葬させる以上にうまい方法があるだろうか?
(中略)
その時、庭の暗闇から、もう一人の男が明るい事務室へと入ってきた。ドン・コルレオーネであった。
(中略)
彼はボナッセラに言った。「さあ、君、わしの頼みを聞いてくれる用意はできているかね?」
(中略)
「これの母親に、こんな姿を見せたくはないのだ」彼はテーブルの所に行き、灰色の毛布を引きおろした。
(中略)
アメリゴ・ボナッセラは思わず恐怖のあえぎを漏らした。死体処理テーブルの上には、弾丸につぶされたソニー・コルレオーネの顔があった。血でいっぱいの左目は水晶体が粉々であった。鼻柱と左の頬骨は、ぐしゃぐしゃに打ち砕かれていた。
ほんの一瞬、ドンは自分の身体を支えようとでもするように、ボナッセラの身体に手をかけた。彼が言った。「見るがいい、奴らが殺したわしの息子のこのさまを」
林修:先に死体が出てきて、開けたらソニーだった。「え!?」っていう。で、後から殺された経緯が出てくる。僕はこの書き方好きですね。
立川:映画ではソニーが殺されるシーンがあって、場面が変わって死体が出てくるんですよ。ここは小説の方が優れているところで、本の場合は葬儀屋の心情から入っていくじゃないですか?
林修:ええ、そうですね。
立川:映画は葬儀屋のセリフから入るんですけど、一度も葬儀屋の視点に立たないんですよ。だから映画では葬儀屋に思い入れの感情が生まれない。本の方が葬儀屋の心情が事細かに描かれているので、死体を見た時の葬儀屋の驚きが大きく伝わってくるんですよね。
立川「レストランのシーン」
林修:これは読んでるだけでもドッキドキのシーンですから、映像では相当迫力があったんでしょうねぇ。
マフィアとは縁を切るはずだったマイケル(三男)が、裏社会に身を投じるきっかけとなったのは、父を襲った抗争相手を殺す、このシーンです。
マイケルは立ち上がり、洗面所へ入っていった。(中略)彼は琺瑯(ほうろう)引きの貯水槽の背後に手を伸ばし、その手の先が、テープでとめた短銃身の小型拳銃に触れた。
(中略)
再びマイケルは腰をおろした。
(中略)
テーブルの下で、彼の手はベルトに差しこんだ拳銃のほうへ動き、それを引き抜いた。ちょうどその時、給仕が注文を取りに来て、ソロッツォは給仕のほうに顔を向けた。
その瞬間、マイケルは左手でテーブルを払いのけ、拳銃を握った右手をまっすぐにソロッツォの顔に突きつけていた。
(中略)
彼は引き金を引いた。弾丸はまともに眼と耳のあいだをとらえ、反対側に飛び出して、茫然自失した給仕の上着に、血と頭蓋骨の破片の大きな固まりを浴びせかけた。本能的にマイケルは、一発で十分だと知った。ソロッツォはいまわの際に顔をめぐらせ、マイケルは、ろうそくが消えるようにはっきりと、男の目の中で生命の輝きが薄らぐのを見た。
立川:子どもの時は顔を手で覆うくらい見ていられなくて、逃げ出したいくらいでした。本で読んだ時も、一度見ているから大丈夫だろうと思ったんですけど、描写が上手くてやっぱりすごくドキドキしたんです。凄まじいシーンですね。
林修:ここは本当、僕も読んでいてもの凄くドキドキしました。僕はゴッドファーザーみたいにドロドロした人間関係から身を引きたいし、一人でいたいので仲間とか大っ嫌いなんですけど、落語もお弟子さんがたくさんいますよね。ファミリーと似た部分があるんじゃないですか?
立川:立川談志がドンですよね。で、談志から一番寵愛を受けたのは私だったので、今は私のところに弟子が同じくらいいるという。そういう所はゴッドファーザー・ファミリーみたいな感じではあるんですよね。談志は乱暴なところがあっても皆に愛されるような人でしたが、私の場合は冷静にやっても談志のようには愛されないんですが(笑)
林修:そんな(笑)
印象に残った子分は裏切り者の「テッシオ」
ヴィトー・コルレオーネと共にファミリーを立ち上げた友人で片腕的幹部がサルバトーレ・テッシオ。ドン(ヴィトー)の死後、マイケルを裏切るのです。
立川:いいですよね、裏切り者ってのは。どの世界にもいる。裏切り者の人生にスポットを当てると、やっぱり面白いんですよね。
林修:でもあのテッシオの裏切りってのは、どうなんですか?
立川:ドンに何十年もずっと使えて、マイケルが赤ちゃんの時から知っている、もう「家族」ですよね。だけども時代も変わって、ドンもいなくなってマイケルの時代なって、このままじゃ食っていけない。しょうがないですよね。
林修:どっちみち食っていけないなら、腹をくくってついて行くって選択にならなかったのかなぁって。
立川:それはきっと赤ちゃんの時から見ていることが、かえって不安なんでしょう。そしてこの裏切りを、ドンの遺言によってマイケルが気がつくという・・。「必ずこういう奴が現れるから、そいつが裏切り者だ」と。
林修:ドンは本当のリーダーですよね。
林修が考えるタイトルの重さ、現代との繋がりとは?
林修:僕はこの作品はタイトル自体の意味が重いな、と思うんです。つまり移民がアメリカという新大陸で上手くやっていくには「父」は一人じゃ足りないですよね。もう一人名付け親であるゴッドファーザーっていうリーダーがいて、そこで初めて成立するっていう。アメリカにおける闇の歴史っていうんでしょうか。
立川:そうかもしれないですね。
林修:でも、もしかしたらこれは今起きてることと同じじゃないかと思うんですよ。難民とか色々ありますけど、新たな国に移り住んできた人が自分たちの居場所を掴むには、父は一人じゃ足りないと。もうひとり父となる人がいて、色々な形で根を張ってつなげてくれると、本当にそこに根づく。だけどそれは合法的なものにはなりにくい。
立川:今これから同じことが起こりうるかもしれないですよね。これだけ難民がたくさんいるわけですから。国が何もしてくれないから自分たちで、自分たちが生きていくために。まさにゴッドファーザーの世界ですね。
この本をあらわす、立川志らく師匠のひと言とは。
ゴッドファーザーは落語家人生の教科書
林修:なるほど。談志師匠という巨大なドンを失った立川ファミリーに新たなドンは現れるのでしょうか。
私はイメージだけでずっと嫌厭していましたが、一度観たらイメージとは違い、深みのある作品でした。遂にはDVDを買うほどハマった作品です。映画も本も、まだの人はおすすめですよ。
▼番組使用はハヤカワ文庫でした。
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