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北野大が語る宮沢賢治の仏教的思想と環境倫理「グスコーブドリの伝記」【林修・世界の名著】

 2016/03/14  

BS-TBS「林修・世界の名著」

今回のゲストは北野大さん。

kitano

北野武さんの兄として有名ですが、大学教授・科学者・タレント・コメンテーターとして活躍されています。

宮沢賢治は大正時代の後期に活躍した童話作家です。

miyazawakenji

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「グスコーブドリの伝記」とは?

新編 風の又三郎 (新潮文庫)(番組で使用された、16編をまとめた本)

児童文学という枠に収まらず、独創性のある文体で描かれるその世界は、時代・科学・宗教・自然などに対する思想にあふれている。数ある文学の中でも唯一無二の表現として高い評価を受ける賢治が、その思想背景を色濃く描き出した作品がグスコーブドリの伝記であり、今なお読み継がれる名著である。

以下、物語の概要です。

主人公であるグスコーブドリ(ブドリ)は、イーハートーブの森で木こりの息子として生まれた。飢饉に苦しめらる中で両親を失い、妹の「ネリ」とも生き別れたブドリは、数々の苦難を経験していく中でクーボー博士ペンネン老技師に出会い、学問を学ぶようになる。やがて火山局の技師となったブドリは再び起ころうとする飢饉を前に、自分の学んだ学問と火山局の博士とともにイーハトーブを救おうとする。

北野大「環境を考える上で大切な倫理観が描かれている」

賢治が理系な科学的観点を持っていることが分かる描写

そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗くりの木は青いからのいがばかりでしたし、みんなでふだんたべるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。野原ではもうひどいさわぎになってしまいました。

こうして二十日はつかばかりたちますと、やっと沼ばたけはすっかりどろどろになりました。次の朝から主人はまるで気が立って、あちこちから集まって来た人たちといっしょに、その沼ばたけに緑いろの槍やりのようなオリザの苗をいちめん植えました。

北野:稲のことを「オリザ」って書いたのは、まさに稲のことを「生物」という対象で考えていたんじゃないかと思うんです。

林修:そういう風に言葉を使い分ける感覚があったこと自体が、まさに賢治が理系的センスを持っていたということですよね。今の言葉で言うならば。

北野:そうですね、「水田」とか「田んぼ」という言葉じゃなく「沼ばたけ」って書いたのも、まさにオリザが生きる場所だということを伝えています。やっぱり「水田」て言われたら、みんなの頭の中にある社会的な「水田の風景」を思い浮かべてしまいますが、「沼畑」と書かれると違いますよね。

林修:なるほど、僕はそんなこと考えませんでした・・・。「イーハトーブ」っていう架空の言葉を使ったり、ファンタジーの世界として完結させたかったのかなぁ、ぐらいにしか思ってなかったです・・。

北野:まぁ自分はたまた理科系なもんですから、「人」と「ヒト」を区別して考えていたっていうのもあります。

林修:あぁ、やっぱり自分の内部にあるものによって、作品の捉え方が違ってしまうんですよね。こっち側に受け取るための材料が足りないと、本当に見逃してしまう・・。

北野:本当に仰るとおりですよ、自分のフィルターを通して見ていますからね。そういう意味では同じ本を読んでも20代、40代、60代と読む時の年代によって受け取り方が違うっていうのも、まさにこっち側が変化しているわけですよね。

「環境」と「仏教的な倫理観」を結びつけた作品

林修:特に先生はこの本をかなり後になって読まれたと伺いました。ということは知識がしっかりある上で読まれたわけですね。

北野:いちおう環境科学を勉強する人間として関心がありました。僕は環境科学を考える上で一番大切なのは、「どういう環境を作るか」というか、価値観なんですよ。「環境倫理」って言ったりもするんですけれども、賢治はその辺に仏教的な考えもかなり入れてるんですね。

北野:水をどうやってキレイにするか、空気をどうやってキレイにするか、そういったのは「環境技術」としては研究しなきゃいけないし、大切なことでもあるんだけれども、我々は将来どういう環境を作っていくのかを考える、その時に「倫理観」というのが入ってくるんですね。

林修:ただ単に「科学」として環境を見るのではなく、「倫理」、人としてどう見るかということですね。例えば賢治の場合であれば、仏教的なものと科学的なものが一つの世界を作っている。そういう面からも「自然科学と仏教的な倫理観の結びつき」を、先生はこの作品に見た、ということですね。

北野:その通りです。

「火山を人工的に爆発させる」という描写は批判対象になるのか?

現在の科学的見地からは「非科学的」とされる「火山を人工的に爆発させる」というシーン。
このシーンを、北野さんはどのように解釈しているのでしょうか。

まずは以下のシーンをご覧下さい。

冷害から町を救うため、火山を人工的に爆発させようとしたブドリとクーボー博士の会話です。

「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴ふくでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。(中略)」

(火山の爆発でCO2を発生させ、冷害から救おうとするシーンです)

北野:またこれを批判する人がいるんですよ。もっと言うとね「火山が噴火したら火山灰とか粉塵が降って、太陽光を遮って温度が変わっちゃう」それはその方が正しいのかもしれないけれども、それを言っちゃいけない。今の科学的見地で「あれは嘘だ」とかね。もっとポジティブに捉えなきゃいけないですよ。

北野:ここには我々の要求というか、願いみたいなもの、「火山をコントロールできたらいいな」っていう想いが読み取れますよね。宮沢賢治の場合は技師ですから、そういう自分の希望が作品にかなり入ってきたんでしょうね。現実にできるかできないか、っていうことよりも。

林修:確かにこの作品は「宮沢賢治の願望の現れたもの」という言い方をされますよね。

北野:そうですね。作品では「ネリ」っていう妹さんが人さらいに連れていかれますが、実際に宮沢賢治は妹さんを亡くされているんですね。作品の中では妹に再開するわけですけれども、その辺にも賢治の思い、願望が強く描かれていると思います。

賢治の仏教精神と「人のために」という考え方

林修:先生はこの作品のなかで宮沢賢治が一番こだわって描いたのはどこだとお考えですか?

北野東北の冷害の中で生きる辛さ、厳しさ、そしてそれを救おうとしたブドリ少年の勇気、世のため人のために・・っていう部分ですかね。

以下は、先ほど中略で終わらせた本文引用の続きです。

「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴ふくでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
(中略)
 すっかりし支度ができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。

北野:前半は事実としての厳しさ、そして後半が宗教心だと思うんですよ。世のため人のため、それは宮沢賢治さんが仏教徒だということだと思うんですよね。

北野:特に仏教では「陰徳」(いんとく)って言って、人知れず良いことをするのが人の徳だ、というのがあります。人によいことをする時に口に出したり、言いふらしては陰徳にならない、ということですね。これは素晴らしい教えだと思うんですよ、西洋との違いでもありますよね。日本ではものを差し上げるときに「粗品ですが」と言いますけど、西洋では「これが自分が差し上げられるベストなものです」って言いかたをしますよね。そこに日本人の奥ゆかしさがあるというか。

林修:僕は「ベストなものです」みたいな渡し方します(笑)「陰徳あれば陽報あり」って言いますけども、別に陽報はなくてもいいんですよね。

北野:そうですね。見返りを求めないのが最大の良いところだと思いますよ。

ブドリの殉死をどう思うのか?

やがて人々を救うために、自分が犠牲になる「ブドリ」。

 ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。
「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」
「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発してもまもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおりいかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんともくふうがつかなくなると存じます。」
 老技師はだまって首をたれてしまいました。

この生きかたを2人はどのように捉えるのか、同じ質問をしてみました。

北野:崇高な生きかた

林修:焼身願望

宮沢賢治が目指した生きかた

林修:宮沢賢治の作品について、僕は色んなポイントを見逃していたなと思ったんですけども、僕が大学時代に授業を受けていた見田宗介先生という人の解釈がピターっと僕にハマったんですよ。色んな解釈を見た中でも。

北野:それはどんな解釈ですか?(興味津々)

林修:もともと宮沢賢治には自分の身を焼きたい、つまり自分が生きていること自体に罪の意識があり、例えばそれが「よだかの星」という作品に表れている。「よだかの星」は自分が見憎くて、みんなに色々言われていて、でも最後は自分の身体が燃えて星になって、世の中に認められる存在になっていく。そういう自分を焼きつくしたいという思いと、自己犠牲の仏教精神の2つが1つに結びついたのが「グスコーブドリの伝記」という作品だ、というのを学生時代に読んじゃったんですよね。

北野:生きてる事が罪だ、みたいな。

林修:宮沢賢治って「世界の全ての人が幸せになるまでは自分は幸せではない」っていうことを言っていますよね。

北野:そう、そう、その通り、言ってます!

林修:自分が金持ちの質屋の息子に生まれた。で、まわりの農民が自分の家にお金を借りに来る。そういう社会的な意味での罪の意識があったって言いますよね。

北野:親にも反発するんですよね。太宰治に近いんですかね。

林修:そういう解釈はよくされますよね。2人とも東北で。色んな研究科が色んな事言ってますけど。

北野:普通は裕福な家に生まれたならその幸せを受け入れて、貧しい家に生まれたら「社会を変えなくちゃ」となりますけどね。豊かな家に生まれたのに、貧しい人に目がいくっていうのは大したものです。これは、かなり純粋で素直なものがあったんでしょうね。太宰治にしろ、宮沢賢治にしろ。

宮沢賢治の考えは人々のため「ニーズ」のための学問

林修:ブドリの性格はどうお考えですか?

北野:要は、気持ちを持つだけじゃなく「どこまで行動できるか」っていうことですよね。ブドリは命をかけて行動した、素晴らしいと思いますよね。

林修:稲の病気を防ぐところありましたよね。僕はやるなぁ、と思いました。科学の知識を実際に役立てる、きちんとそういう設定になっていますよね。理論のための理論ではなく、実際に使える理論というのが宮沢賢治にとって重要だったということですよね。

北野実学って言いますかね。机上の空論ではなくて。学問ていうのは2つあって「ニーズ」のための学問、「シーズ」たる学問。宮沢賢治は「ニーズ」の学問でしたね。

この本を読んで欲しい人とは?

林修:グスコーブドリの伝記はどういう人に読んでもらいたいですか?

北野:中学生とか、高校生ですね。社会出たら「人のためだ」っていう考え、働く意義が大切になってくると思うんですよ。温暖化についても考えられるし、そこも含めて読んでもらいたいですね。

最後に

北野大の「グスコーブドリの伝記」を表すひと言

世のため 人のため

林修:なるほど。これは先生がこの作品が読み取ったことであると同時に、ご自身の生き方を再確認した言葉でもあったんではないでしょうか。


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大人になって宮沢賢治を読むと、こんなにも個性的で、こんなに色々な意味を感じさせる言葉が、こんなに短い文章に集約されていることに驚きます。

特に「自然の描写」が素晴らしく、他の誰にも真似のできない言葉の組み合わせで、大きな広がりを感じさせてくれます。ただの地味で暗い文章ではないです。

恐るべし宮沢賢治。

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